JIGDRESS

a band from '99 in tokyo

HELLO-35 ”decay”

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先々のことを考えれば考えるほどバンドっていうのは9割の苦痛と1割の喜びで成り立っていると思い知らされる。さらに1割の喜びはミックスフルテンのリバーブみたいに実音が伴わなかったりする。長めのdecayでどうにか喜びを感じ取るしかない。

俺たちがディストーションペダルを踏む理由は何もでかい音で全てを制圧したいからではない。歌詞や曲に込められた感覚を声に似たギターで表現しているにすぎない。”すぎない”ではあるけれどとにかく難しい作業で、メンバーと曲に対しての理解や情景を整える必要があるし、歌詞に人間が宿っていなければならないし、ある程度の繊細なプレイまで要求される。上手い下手の定義は様々あるし、テクニックを上げてく事も別に否定はしないけど、俺はバンドにおいてこの部分が最も重要で「良い」と思える大きな要素だと捉えている。だからこそバンドは難しい。それぞれの育った環境や価値観、目的、そして感覚、曲中は全てを合致させなくちゃならない。合致を目指した上での、微妙なズレや違和感がそのバンドの特徴になるし、いわゆるケミストリーってやつにも繋がる。統制したいわけじゃなく、あくまで出発地点の話。バンドの美しさ。混ざり合わないものを混ぜて自らのロックを定義することは美しい。

JIGDRESSは感覚(出発点)の微妙な差異から目を逸らしながら走ってきた気がする。もしかしたら取り返しがつかないところまで来ているんじゃないかとも思う。微妙な差異は伸びれば伸びるほど明確な角度で目を逸らした全てを露呈させる。前にも書いたけど楽しけりゃてOKであれば大したことではないかもしれない。実際のところ、楽しさを求めてた時期はあった。今年に入ってから伸び切った角度が徐々にコントラストを増して視界にちらつくようになってきた。俺含めメンバー全員が否応なく気付かされ、同時に続けていくことへの不安を抱き始めたことも事実だ。

少し鈍感であればよかったのかもしれない。サーキットイベントやフェスで盛り上がるようなツービートの曲をたくさん作って盛り上がりを演出し、盛り上がりに違和感を誤魔化せていたらどんなに楽だったろう。10代の頃魅了させられた音楽の奥行きや音楽の深度をメルカリで売り飛ばせたらどんなに楽だったろう。やりたい音楽をB面と捉えて”コツ”でワンマンを盛り上げられたらどんなに楽だったろう。誰のためにもならない音楽に命をかけられたらどんなに楽だったろう。どうして俺はもがくことに美しさを感じるのだろう。どうして俺はもがく俺がこんなに好きなんだろう。一度立ち止まって考え直すところに来ているんだろう。決まっているライブを懸命にやって、実音が伴わない1割を伝えることが”誰かのためにやる”だと実感したい。立ち止まった後、この実感がこれからへの瞬発力に繋がると思う。

年内は残り3本、弾き語りを入れたら残り4本、ぜひ集合ください。まってます。

▪︎11/25(火)TOKIO TOKYO

▪︎11/27(木)おとなり※弾き語り

▪︎11/30(日)アメ村天国

▪︎12/6(土)下北沢にて