JIGDRESS

a band from '99 in tokyo

HELLO-34 ”LAST DIVE”

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先日は渋谷でのライブありがとうございました。ライブ中起きたとあることがきっかけで、3日ほど自分やバンドについてあれこれ熟考した。ちなみに1ヶ月前からはじめた治療も熟考に関わっていると思う。先に1つだけ言うと俺は圧倒的に素直ではなく、素直じゃなくて何がボーカルだと考え改め今回これを書こうと決めた。

とある出来事から話そう。確かrefillかmotherで声を出しすぎて意識が飛んだ。飛んでる時間はおそらく10秒位かと思うんだけどやけに長い時間に感じられて、しかも自分の状況を客観的に見られるという何とも不思議な体験だった。おそらくこのまま倒れたら俺はドラムセットに頭をぶつけて死ぬんだろうな、死ななくても重症だな、イベントをぶっ壊してしまうななんて客観視してた。するとまだ死ねないという感情が湧いた。その時すでに客観視はしていなくて母屋に戻った感じ、どうにか踏ん張りよろけながら曲を終えた、多分終えたはずだ。正直いつ死んでも仕方ないとか、それがステージであれば本望とか、典型的なロックマインドでいたはずの俺だったんだけど、多分生死について思慮が浅かったんだろうな。まだまだやり残してることが多すぎて俺が死んでも普通に雨は降るし世界中のゴミは減らないし、涙でどっかの家が湿ったりなんてしないだろうし、やり遂げるまでは死ねないわけだ。死ぬ時は時間を1秒止めるくらいの奇跡を起こしたいものだ。

治療の話。正直に言うと俺はアル中手前で500mlの缶ビールを2時間ほどで6缶ほど飲み干してた。6缶以降の記憶は曖昧で、そこから気絶するまで飲み続けて朝目を覚ます。多分それが3年ほど続いた。これは友人と飲みに行く日以外の話、一人でそんなことを毎晩していたわけだ。きっと人によってはそれほど大した量ではないかもしれないけど、俺にとっては優にキャパを超えていて、酒を飲んでこそロックであるのなら、すでにロックの向こう側に辿り着いてる。ロックの向こう側はやけに視界がぼやぼやする。キャパ以上飲んでた理由はありきたりだけど漠然とした不安。けれど飲めば飲むほど全ての作業は停滞してさらに不安に落ちる、ループ、またループ。1ヶ月前いつものように飲んだ朝、突然病院を探しはじめた。曲ができてない不安の解消方法をずっと探してて、ゴミ箱に大量に積まれた缶を見たことがきっかけだったような。ひどい二日酔いだったから実際のところきっかけはよく覚えてない。病院に行って事情を話してシアナマイドとレグテクトをもらった。シアナマイドってのはアルデヒドを無理やり分解できない体にする薬で、要は下戸にする薬。レグテクトはアルコールに対する興奮を抑える薬だったような。今は視界が割と安定してきた。ついでに、小学生の頃の3度の転校で培ってしまった本音を言えない性格、馴染めるように当たり障りのないことを言うとか、円の周りをぐるぐるしてる感じとか、嫌われないための処世術をなくす手はないか相談した。そもそも転校を繰り返す前の俺は割と自己中心的で相手の意見を聞くとかもなく、かつ相当の多動でじっとしてることができない。気になったことはすぐやってしまう、走行中の車に石をぶん投げたり(すげえ怒られた)、包丁で指を切ったら本当に痛いのか試してみたり、とにかく怒られることが好きというか、でも怒られるとすぐ泣くガキで泣きぼくろを作って父親に泣くなとぶん殴られたり。今考えたら意味がわからない。だけど、当時の自分は本音が言えたから今より優しくて、とても羨ましく思えた。少し前から話に登場してたリトルって存在は18歳の俺ではなくこいつなのかもしれない。戻ってみたいなと思って、今回一緒に治すことにした。ちなみに当たり障りのないことしか言えないやつの方が実は優しくない。そりゃそうだ、自分を守ることで必死なんだから相手のことなんて考えてられない。のくせ、誰かが悩んでたら相手を立ち直らせる気の利いた言葉を考える、できればその言葉を一生覚えといてもらいたいなと期待して。

完治の基準はとても曖昧だけど、前述した”素直”にできるだけ近づけるように、いやしっかり”素直”になるように頑張ってみようと思う。出来事の話をしてたら一緒に自分自身についても話してたみたいだ、駄文失礼。

バンドのこと。マジで主観だけどバンドは楽しいだけではやれない。楽しいだけでやってるバンドが俺は正直苦手。張り詰めたようなバンド、曲やライブ、自身のバンド像との距離感だったりに常に試行錯誤してるバンドが好きだ。だし、ロマンチックだ。好きだったバンドが「楽しもう」に移行して何度もがっかりした(BLACKPINKがコーチェラから楽しむにシフトした話はわけが違う、詳細はNetflixで見てくれ)。別に楽しさに全力で舵切ってるバンドを否定したいわけでもないし、これは俺の嗜好であり主観。だからちゃんと言う。楽しいだけじゃバンドは出来ない。ていうか、そうなったらやめた方がいいし、つか俺自身続けられない。何でこんなことを考えはじめたかというと、このバンドも楽しもうにシフトする可能性が見えはじめたからだ。ありがたいことに企画とか初期から割とお客さんには来てもらってて、ただこれを一体いつまで続けたらいいんだろうという不安があって、もしかしてこの絶妙な環境下で一生バンドをやって誰かが辞めると言い出さないか怯えながら、不安を解消させるために楽しもうをバンドに持ち込んで何とか延命するような感じになるのか。くだらなすぎる。毎週フットサル感覚で大好きな曲をコピーしてみんなで酒飲んでる方がよっぽど潔い。以前、「自分の為にやることは飽きた、誰かのためにやりたい」と話したと思うんだけど、ようやく本質に気づけた。”自分の為”ってのは自身の楽しさ、”誰かのためにやりたい”ってのは俺みたいなやつが必ずいるはずだから、勝手にこのバンドのお客さんはそんな人たちだと思ってるし、俺が心を奪われたバンドに俺らはなるべきだってこと。体力も精神もすり減るやり方だと思うし、もしかしたら「俺はいつまで不幸でいればいいの?」なんて思おうかもしれない。けど、そんなの知らねえ。世の中にこんなたくさんバンドがいるんだし、だったら俺はすり減る側に舵を切って真剣にやりたい。それ以外はもうやめた方がいい。このバンドが自身の楽しさだけを求めだすなら早いうちに葬った方がいい。誰かのためにやるってことは、誰よりも音楽と自分そしてバンドに向き合わなければいけない。喜んでもらうとかじゃない。喜んでもらうはちっともロマンチックじゃない。

ソールドアウトしてもフロアにはどっか隙間ができる。何でここに隙間があるんだろうとずっと思ってたし、その隙間にムカついてその隙間に向かって歌ってたこともあった。ガラガラの時は曲の自信に比例しないフロアに腹を立てていた。フェスに出た時は奥の隙間が気になってそこに向かって歌った、歩いてるやつをびっくりさせてやろうと叫んだこともあった。今も変わってない。今も腹が立つ。慣れてしまったらきっと麻痺する、自身の楽しさを追求しはじめる。変わらないなら変わらなきゃいけない。来てくれた人たちに自慢させてやりたい。すげえだろって。

だから、このままじゃ続けられない。